2012年夏、とあるきっかけから海外にまた遠征に出ることになった。どうしても会いたい台湾の女性がいて、彼女に会いたいがために、海外に再び出る決意をしたのだった。恋愛というものは国境を越えて人を動かす不思議な力があると思う。その夏過ごした彼女との思い出は永遠に忘れられないドラマのような記憶となり、今でも鮮明にその記憶は思い出される。

東京から鹿児島に戻り、2年程あまり。家業のホテル改造・再生というもうひとつの目的もそれなりに達成したころ、母から海外へのホテル進出の夢を聞かされる。実は私の叔母は大阪の南で1番といわれるほどの高級クラブくろねこのオーナーママ、岡崎たか子だった。叔母は2009年の秋に静かにこの世を去った。こちらにそのことがニュースとしてリリースされている。実は2009年に自分が鹿児島に戻った大きな理由のひとつでもある。

彼女のおかげで一族は何不自由なく、今もすきなように自由に自分の夢を追って過ごせていることも彼女のおかげであることもある。その叔母の夢もまたリゾートだったことを考えると、ようやく一族の夢も叶い、自分の夢も叶えるチャンスを与えてくれたことに感謝の念は堪えない。

もともとラブホテルであった実家のホテルが、いまリゾートという名前を付けている理由も、今思えば不思議につながる。こうして亡き叔母の夢も一応叶ったが、本格的な海外のリゾートへの進出まですることになるとは思わなかった。そしてその海外リゾートは音楽の島、パンガン島という、自分の音楽の夢さえも叶う最高のリゾートであった。

話を戻すと、鹿児島に戻った2009年から2012年の間、叔母の死をきっかけにホテル家業ライラックホテルズ・アンド・リゾート計画に着手、いわゆるリノベーションに成功し、サツマ・フェスタも開催。そう、このホテルは家業であり実家でもあるわけで、自分のスタジオもある。そこでフェスを開催できたことは、自分にとって最高のプライベートパーティーであり、フジロックのヘッドライナーも参加するインターナショナルなフェス会場ともなった。

それが2011年の夏終わり、その後多くの海外の友人がくるようになり、出会った台湾の女性との、冷静と情熱の間の映画のような思い出から、海外への再進出の野心も同時に燃え上がった。そして、そのことをきっかけに2012年夏、それを実行するに至る。2週間の台湾でのゲストハウス生活の後、その当時は海外にホテルをつくるといった夢はなかったのだが、とりあえずそれを期にアジアをバックパックする3ヶ月ほどの旅となった。

2012年夏~秋、2週間(台湾)⇒1週間(上海)⇒1~2ヶ月タイを中心としたアジアを回った。そしてそれは、最後タイの旅のパンガン島との出会いにより、第二の音楽活動の拠点・海外リゾート進出という2つの夢の一致する理想郷を見つけ、それは一気に動き出した。 つづく。

写真はタイパンガン島のホテル。小さいホテルながらも、5つの大きな部屋をもつVILLA。規模としても雰囲気としても、自分たちが拠点としていくには十分すぎるものだった。実業家としては、海外ホテルM&Aというキャリアをここで形成。音楽家として世界から毎月5万人も集まり、毎日のようにパーティーのある島に拠点を構えることができた。そしてこの島のすごいところは、音楽家が普通に食えていける島だということ。日本で食っていかなければならないDJは大変である。トップでもそうなかなか簡単なものではないことは、自分がとあるアジアDJランキングでトップ100位中46位になっていたことから確信した。パンガンはDJに関してもしっかりと欧米のルールでそのキャスティングが行われ、東京やラスベガスのようなアイドルDJ・タレントDJはすぐに見破られキャスティングされることはない。欧米でキャリアをつけるにふさわしい場所でもあった。

 

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