音楽家として、自分の音楽スタジオをつくることは最高の夢のひとつではないだろうか。かくいう自分もそういった中の1人である。実家のおじいちゃんが残したガレージをこのようなスタジオにしたときのストーリーをひとつ。2011年、ASIAN DUB FOUNDATIONのオリジナルメンバー、Lord Kimoがレコーディングのために日本に来日してくれることを期に、あんまりしょぼい音楽環境だと残念がられると思い、来日決定後早急にスタジオ建設がはじまったのだった。

基本的に自分はノートブックとオーディオ・インターフェイスさえあれば曲作りができる環境があれば問題ない。ただし、打ち込み用キーボードも、特別なマイクも必要なときだけあればいい。そんなスタイルでいろんな曲ができてきたのだが、さすがに、一流のアーティストを迎えるにあたって、そんな感じで曲をつくってるとは思われたくもなかった。というか、コラボや音楽制作は環境がとても重要であることは確かであり、その環境がほしかった。

さすがに東京でまともなスタジオを持つとなると、桁違いの費用が必要なので、最近は多くの先進的なクリエイターは地方にスタジオを構える。少なくとも東京で同じようなスタジオを持つとなると、恐ろしいほどの家賃がかかり、アーティストにとっては死活問題なのである。これは世界共通の現象であるが、私の好きなアーティストのひとり英国の Aphex twin  は名もわからない片田舎でスタジオをつくり、そこから世界を驚かせる作品を生み出してきたことを考えると、今後の音楽を含め、アートやサイエンスのイノベーションは地方から産まれる可能性は高いと確信していた。

ちなみにAphex twin はテクノ系レーベルで世界のトップといえる Warp Recordから作品を出しているので聞いてみてもらいたい。キチガイ系のアーティストがたくさん所属しているが、なかでも Square Psher と彼は、ドリルンベースというジャンルを確立するほど斬新な奇才プロデューサーであり、こうした革新的な音楽を生み出すことができるのは1プロデューサーとしてうらやましくもある。

ちなみに自分の音楽キャリアの中で、最初なのは、母のギターを使った中3のころだった。その当時のことはこちらの記事でもちょっと触れているので興味があれば。高校からドラムをはじめたのだが、大学からDJとプログラム作曲をはじめたときに、彼らの作品がひとつの自分の音楽性に影響を与えた理由は単純で、ドラムで叩けないほどのリズムが打ち込みで可能だったことが最初のスタートであった。

その他、DHR Digital Hard core Recording というジャンルのアナログレコードを買いあさった。Atari Teenage Riot なんかも当時、ハードコアなバンドが好きだった自分にとってはツボだった。彼らを一言で表すと、音響芸術家という言葉がふさわしいのではないかと思う。英国に多く、特にイギリスのブリストルという街にそういった才能が集まっていると知った時にはいきたくてしょうがなかったが、実はいまだに行っていない。

本題に戻るが、こういったスタンスの音楽家に憧れがあったのだが、スタジオを持つためにも鹿児島の実家のホテルにあるおじいさんの残した古いガレージはうってつけだった。これをシルバーな大工さんと二人三脚でスタジオにリノベーションしていった。ホテルの中ということもあって、レストランがなかったこともあり、そのスタジオスペースをレストランにもした。これは意外と相性がよく、黒光りしたかわいい音楽機材たち、ヴィンテージ機材、おばあちゃん、おかあさんから授かった楽器の数々、そして、中学校時代から使っている楽器・ドラムも現役でここで活躍している。

プロジェクターをつけていたことで、シャッターを前回にすると、DJブースにもなり、音楽スタジオがすぐにライブ会場になる。そして、ホテルのお客さんにとっては、映画館にもなるし、ゲーム会場にもなる。ビジネスだと、ちょっとしゃれた会議室やプレゼン環境にもなるのだ。我ながらこれほどまでに音響をはじめとしたマルチメディア環境を構成したスタジオがホテルに生きたということは想像力のトレーニングに誇りをもてた。

このプライベートスタジオはライブ会場+アンティーク機材・楽器展示+レストラン・バー+会議室といった多目的マルチメディアセンターとなった。そもそも毎日曲をつくるわけでもないので、こうした実用的な事業との組み合わせはとてもしっくりきた。この箱は自己所有なので家賃0円にて、毎日お金がないアーティストにとってはありがたい。その上、ホテル事業とのシナジー効果もあり、よい空間ができたなと思う。建築デザインもこのころからいろいろと勉強するようになった。

 

 

 

 

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