高校から大学へ、18歳になった自分がまず東京に上京していざ目指すことは、どれだけ遊ぶかということだった。今考えれば、これほど親に遊ばせてもらった時間はなかった。しかし、その遊びも次第にお金がつき、好きな音楽活動や合コンをするためには、結局はお金が必要だった。そしてバイトをはじめる。

高校時代に理系コースをずっと進み、理系の大学にいこうと漠然と思っていたころ、授業に政治経済という科目と出会ったことで、自分の進路は経済学に進むことで方向転換した。父や祖父・母方の親も同様に商売人だった私にとって、サラリーマンという選択肢はもはや人生が終わったことのように小さいころから感じていた。

小さいころには周りは大学を卒業して就職して一生その会社に勤めあげることが正しいとの社会観念があり、そのこと事体が地獄に思えたからだ。時代は変わり、自分のような生き方でもよいとされる時代がきたことは大変にうれしいことでもある。

前置きが多くなったが、そもそも自分は経済・経営の道を究めたいという夢を持っていたことで、大学の授業もきっと楽しいに違いないとワクワクしていたが、断片的な内容に嫌気がさし、結局は大学の授業もまともに受けなかった。単純にまずお金がほしいという欲から、パチンコのバイトだけやってても、対して貯まらないので事業を起こそうと考えた。ちょうど2,000年頃の出来事である。

ちょうどITバブルと呼ばれたその頃、情報を右から左に流すだけでお金になった。パチスロ実機の卸売をネット販売で200万円ほど稼いだのだが、それは6か月しかやらなかった。このビジネス事体に将来性を感じなかったからである。もし、自分が社長であれば、6か月ほど稼いだところで、一生従業員の飯を食わせていくことなど到底不可能に思えたのだ。そして、そのことに恐怖を覚えた私はさらに経営や経済の勉強をするために中小企業診断士という経営コンサルティングの資格を勉強することにした。1日8時間×10か月に挑戦したが、結果は惨敗であった。

ビジネス研究会というところに入り、いろんなビジネスモデルを研究し、チャンスがあれば再度事業を立ち上げるつもりでいたのだが、結局は最初のビジネス以上にうまくいく事業は立ち上がらなかった。そんな中、とある人と出会う。トップ画像の著者、浜口直太氏である。国際経営コンサルティングという、まさにすごそうな仕事をしている方との出会いが大学中にあったことで、私は将来実業家を目指すつもりであったため、そこに入社させてもらった。

実は、このとき大学4年生まで音楽活動もそれ相応に頑張り、有力なアーティストたちとのネットワークを培っていた。しかし、この大変厳しい業界と、音楽活動を並行して行うことは、多くの犠牲を生み、音楽のパートナーからも見放されたこともあった。このことはこちらの記事でも描いている。

とりわけ、この同時並行の動きが今にすべて生きているわけだが、今ではこの会社に入れていろんな経験やネットワークをつなげて頂いたことには感謝を感じる。

タイトルのこの本は、そうした恩人の著書であるのだが、その中身は私が新入社員として入社させてもらったときのダメだしを並べた本だといっても過言ではない。自分はサラリーマンとしては最低レベルに使えない人間だった。そしてきっと多分今もそうである。浜口社長が私を見かねて、書き綴った本が、いまやビジネス書の中でも大きなロングセラー・ベストセラー作品として今でも売れ続けていることは、名誉といえば名誉、恥といえば恥という複雑な心境である。

この黄色い本はきっと自分たちの世代のサラリーマンも一度は目にしたのではないだろうか。そして、この本は現在40万部以上も売れ続け、浜口直太をビジネス書作家として不動の地位にした本であることは間違いない。そうした彼の元で約2年間働いたわけだが、この経験やネットワーク・下積み時代は今もなお記憶に刻まれ、トラウマになるほど大変な時期であった。夢でもたまにこの頃の恐怖感が出てくるのである。

ただし、これは実業家という仕事をやるために最高のトレーニングだったと思う。正直、サラリーマンである以上、社長の苦労は絶対にわからないし、それを目指す必要もないが、ある一定の時間とお金に余裕を持ち、自分の思い通りの人生を描くには避けて通れない道である。

この会社のつながりが海外進出を助けてくれ、実家家業のホテル再生・M&Aさらには諸問題を見抜き実行し形にする能力を育ててくれた。この会社に入れたことは自分の最高の財産であったと思う。改めてこの時に縁してくれた多くの先輩の方々に報恩感謝の思いを伝えたい。そのときにできた曲ではないが、その思いを音楽として表現した作品。Houon Kanshaは自分の作品の中でも、評判の作品のひとつとなっている。

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