もともとベースミュージックからキャリアをスタートした自分は、ヒッピーカルチャーについてあまり関心を持っていなかったが、夢のパーティーアイランドに拠点を構えてからは、多くのヒッピーと知り合うことになり、彼らの考え方や思想、ファッションや音楽に至るまでまだ数年間ではあるが影響を受けたものであることは確かだ。

上記の写真は現地の原理主義的ヒッピーから言わせるとHIPPIEではないという答えが返ってくるだろうが、あんまりコテコテのヒッピーカルチャーファッションは自分好みではないし、素人の女の子がトレンドを取り入れたくらいのほうが男性受けがよいのでこの画像を選択してみた。

さて、ヒッピーカルチャーについては欧米の超資本主義やそれに伴う多くの戦争、そして若者と親世代の思想の不一致によっても、様々な世界の地域からその現象が発生した。有名なのはサマー・オブ・ラブ といった社会現象・ムーブメントがよくとりだたされる。

ヒッピーとは何か?これは現代の本人たちも定義が難しいほどにいろいろなタイプが現代には存在する。自分がパンガン島に行って現地のヒッピーたちとの交流を通じて考え方や思想などを感じたままに書いてみる。

ヒッピーとはそもそも、欧米の行き過ぎた資本主義に反発する若者の手によって作り出されたムーブメントと定義してみると、一旦は大まかなくくりができそうだ。だが今はそうでもなく日本には、お金が好きなヒッピーも多いことから、思想としての次元から、ファッションや音楽、雰囲気だけを言っていることも多いようだ。

自分は価値論という研究を長年しているのだが、それをもとに彼らの考えや思想がどういったバランスなのかということを分析してみた。ヒッピーにとって、お金というものは非常に汚いものとして映ったベトナム戦争の起こったころ、資本主義の最後は1国の利益のために戦争によって他国の人を殺すことが許されるような状態を嫌悪した反発もひとつあると思う。

とある価値論の考え方では、ものごとの価値は主に3つ、美・利・善という3要素に分けられ、すべての人々はこのバランスの偏りによって行動が異なるとするものである。ヒッピーについては、よく歌われるフレーズ「愛と平和・ラブアンドピース」という掛け声により、その思想は結局キリスト教的な思考へ回帰するのであるが、この愛というものが絶対ではないという考え方を濃くもつ仏教徒の考え方からすると、違和感があるのではないだろうか。

話がそれたが、ヒッピーはこの美・利・善の中の特に利を否定した他の価値、美・善の2つについて、特に美に重きをおく考え方であると思う。彼らは直感や美しさ、わかりやすいファッションや音楽といった文化的価値(美)のトップランナー的存在であり、どこにいっても、世界のトレンドの最初の方に存在してきたが、具体的に言えばイビザの初期であったり、それを中心としたヨーロッパ全土でのセカンド・サマー・オブ・ラブといった社会現象によってだったり、若者文化の発祥を作り上げることができるエネルギーであることは間違いない。

ただし、どの地域でもこれは一過性のものとして幻想として最後は終止符を打つのだが、この文化的価値(美)は一瞬のエネルギーを司る要素であることだけに囚われて続かなかったというのが、結論だと思う。しかし、その感性を持ったヒッピーたちは、ある意味、利・お金というもの以外の価値を見抜く力が強い人種となり、そこから生まれた実業家「スティーブ・ジョブズ」がなぜあれほどまでにマイクロソフトを抜き世界のトップに成りえたかは、このヒッピー時代に養われた文化的価値の創造に長けた人物であったことが最大の理由だと思う。

金ではなく知恵で解決することこそが、今の現代経営にとって最重要の課題だとすると、彼は文化的価値をいかに駆使して、そして、経済的価値(利)につなげていった天才であったのではないだろうか。それまでデザインという力を軽んじていた社会がアップルの出現によってやすやすとひっくり返されてきたこの2000年代はまさにそれをみんなが垣間見た瞬間であったのだろうと思う。

ヒッピーを肯定的に見ると、こうした金だけで解決する資本主義に対するアイデアや知恵を尊重する考え方は今の現代の日本にとっても大変重要なことではないだろうか。そしてそれは、文化的価値(美)や社会的価値(善)を見抜いてそれを経済的価値(利)に転換し、価値を創造するものが生き残るのだと思う。

逆に、否定的に見ると、この文化的価値(美)という瞬発的なエネルギーのみに囚われてしまい、他の利・善といったバランスを欠いたヒッピー思想を絶対と信じる人々は、身を滅ぼしかねない気がする。フリーセックスやドラッグに溺れて、動物的な生き方に回帰するのもいいが、彼らは将来家族を持ち、必ず社会との接点を持たざるを得なくなり、おのずとその幻想から目が覚めるのではあるが、そこからもうひと踏ん張り、ヒッピーならではの美的価値・文化的価値の目利き力・想像力を武器に、実業家として転身していくことは非常に有望だと思う。そういった視点で実行できる人(プロデューサー・実業家)が、音楽のシーンを作り上げていっているのはパンガンでもイビザでもそうであるし、彼らのお客さんがヒッピーであると言える。偶然と必然を限りなくリンクして展開していけるプロデューサーとして実業家とし転身することで、彼らの新しい目線は十分に今の現代の社会に求められているものだと思う。

最後に、この最後の社会的価値(善)についても、ヒッピーは持ち合わせている場合がある。核廃絶・世界平和・飢餓・貧困・慈愛活動など、社会的に必要とされるが資本主義・1国主義だけでは成り立たないこの問題について、真剣に一般人よりも考えていると思う。ただ、そのことをやるにしても、自分の力は有限であり、一生ボランティアでは生きていけないのを知るとやはり、経済的価値も考えてものごとを創造していく力が必要になってくる。絵を売って、音楽を売って食べていくことの大変さは筆者も体験し、身を滅ぼした経験もある。しかし、それ以上に難しく感覚的な商売もなかなかなく、これをやることは実業家としてとてもよいトレーニングとなり、その思考をいかに展開できるか、社会的現象を見抜きチャンスをとらえ、事業として形にするかは、もうそれは実業活動なのだと思う。多くのヒッピーも頑張っているが、やはり結局はドラッグ経済などに甘んじて抜け出せないものが多い。純粋に音楽をドラッグなしで自分を開放できるようになれるとよいと思う。本物の創造的アートや音楽にドラッグはみじんも必要ないと考える。

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