ジェフ・ミルズ を知らないテクノファンはいないというほどに、有名なDJが、日本のオーケストラ音楽番組、題名のない音楽会とコラボしてしまいました。題名のない音楽会と言えば、幼いころ日曜日なぜかアニメやセンタイモノ見たさでいつも起きない子供が、ギンギンに目を開きながら起きるころ、そのお子様の時間がこの番組によって、一瞬にしてつまらない日曜日に巻き戻す時間でもあった。そんな番組がDJや音響芸術の世界とコラボするとは思いもしなかった。

ジェフ・ミルズファンには申し訳ないが、率直にこのコラボは間違いだと思う。彼ほどの有名なDJがどのような革新的音楽を生み出すのか期待してしまいましたが、これは残念のひとことにつきます。正直音楽家としての革新性の発想がこの結果であれば、欧米の音響芸術界はもう終わったと思う。その理由を述べたい。その前に彼のコラボ動画があったので見てみてください。

まず、彼はリンク先にある通り、デトロイト・テクノというジャンルを作り上げるまでにそのひとつの音楽文化を形成した1人だったが、それ以上に今回でオーケストラ並みにDJ文化が確立してきたものと認識されるのはDJ界では喜ばしいことだと思う。ただ、このオーケストラという音楽文化と、DJという音楽文化のコラボはどうしても過去に無理やり進化を求めたような滑稽な現象にしかみえない。

彼がDJ文化のことで発言しているこの内容は正直どのレベルのものか期待したが、彼の言ってることは事実であり、誰でもDJは再生ボタンさえ押せばできるようになっているといった状態に、一般化の流れが良くも悪くもこのようにDJが認知されてきたことはありがたい。しかし、誰でもできることでDJという仕事は無価値化していき、そのDJという過去選曲家といった仕事から進化した何かをDJは求められているのも事実だと思う。彼のインタビュー記事を参照してもらいたい。

この彼が使っている機材は日本製のもので古くからデトロイト・テクノシーンでも使われてきた名機だ。このハードウェアに拘ることはDJのひとつの形として非常によいと思うし、これがDJ?LIVE ACTじゃん!となる人もいるはずだ。結局DJは名前はそのままでLIVE ACTsとしての名前を引き継ぐのかもしれないが、CDJのように誰でも使える機材が普及している今、勘違いのDJも多く出てくるはずである。

彼の機材へのこだわりはとてもよいと思う。そして、このライブで見るようにPA MIXERをすでにDJ MIXIERのように使い、オーケストラの演奏を制御しているいわば、指揮者の役割を持っていることも興味深い。そしてそのチャンネルの中にリズムマシンを彼はぶち込んだ。残念だが、この最後の発想は同感しない。

そもそも、数学的に言うと、演繹法・帰納法くらい違う打ち込み音楽と、生演奏の同期に新鮮さを全く感じない。なぜならオーケストラ生演奏は音を足していく加算式の音楽であることに対して、打ち込み音楽は空間を制御し、心地よい状況を作り出すことがミニマル・テクノカルチャーを代表するように、減算式の音楽であること。

そして、過去ジャズの歴史が、音楽の概念を演奏と作曲という2大要素を分類して別々に考えたシンプルさを持つのに対し、このオーケストラとテクノのコラボには、音響芸術の歴史的革新性が感じられない。ジャズであればかの、ウェインショーターが音楽の未来を想像して、ラッパでテクノのヲルブ的表現をアナログでやってしまっていたことへの驚きなど、それほどの先進的革新性、音への追及を感じない。

まだ、ジャンベ打楽器の音楽とのコラボならわかるが、なぜオーケストラだったのだろうか。まったくおもしろさを感じないし、ただオランダ国王がオーケストラとDJをコラボしただけというなら、それは本当に滑稽な発想で、過去そういった芸術界を変える人々とはまったく違う、歴史に残らない人であることは確かだろう。

それと同時に、さらにいうと日本人のおばさんや周りが本当に感動しているのだろうか?演奏者にとってただPAが前に出てきただけであと適当なおもちゃのような音をちりばめただけじゃないのか?って不安になりながらも無理やり褒めちぎってはいないだろうか?

彼が本物の音響芸術家、革新的な音楽家であればありえないと思うが、こういった表現の発想は、彼を陳腐なものに貶める気がする。演奏と作曲をリアルタイムでできる可能性のあるDJの未来はこういったことじゃないと思う。もっと先を見越した革新的次元が巻き起こるはずだし、確実にこのようなことではないはずだと信じたい。

そして、こうした新しい音楽の表現を模索することはいま世界中のDJが挑戦しているひとつのことだと思う。過去グラミーに輝いたダフト・パンクのライブセットはまさにレコーディングスタジオがライブステージという意味でその裏にかくされた新しい音楽の形が見えるような気がしたが、それを前々から実践している自分にとって、これでもない、あーでもないともがき探究するところにあるのか、はたまたHIPHOPのようにローカルの遊びが発展してアナログターンテーブルを使ったDJが生まれたように、どこかぽーんと生まれてくるのかわからないが、DJがつぎ参考にすべきDJの未来はこういったことではないことを信じたい。

社会革命家であったボブマーリーやベートーベン、ウェインショータ―といった超一流の人たちはもう欧米からは生まれてこないのかもしれない。かくいう自分もそういった新しいDJの表現もしくは音楽の表現方法に葛藤するものではあるが、答えを出していない自分がこのようなことを言っていることもまたナンセンスでもある。自分がそれができればいえると思うが、世の中が変な方向に勘違いするよりはちゃんとこの場で言った方がいいと思った次第である。偉そうに書いているが、彼の求める姿勢自体はすばらしい、実験を繰り返していく姿勢も感心する。しかし、別の次元に答えがある気がしてならない。

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