ニュージーランドとの出会い

鹿児島の実家ホテルにニュージーランド人がくる。

うちの母は鹿児島の本家ホテルのフロントを今もやっていて、おもしろいお客さんがくるとすぐに仲良くなる。そんな縁からはじまったニュージーランド・オーストラリアの旅。現地のオーガナイザーに支えられて、初のワンマンライブも実現できました。普通の海外旅行と違ってこういった旅は永遠につながりが太くなり、大きな財産になる。

きっかけは、2014年の秋ごろ、ニュージーランド人のグループが、日本・ニュージーランドの平和70周年を記念して、日本縦断の旅の最後、うちのホテルに泊まったのがきっかけだった。フロントにくるやいなや、世界平和について熱く語り始めたヒッピー系のおじさんを前に、母はアンテナがピンときたのだろう。

母は、そんな彼らを手厚くもてなし、鹿児島の名物、鯉料理に祖母と一緒に、地元のやねだんというアーティスト村の村さんも一緒に、交流していたのだった。ちょうど自分は日本にいたが調子が悪くて、その間は部屋にこもって作業ばかりして気にも留めなかった。

<ニュージーランド・サイクリスト日本縦断を母が手作りでお祝い>

13244869_722662874542506_7067427371685287345_n

彼らの正体とは・・・。

こんな気転のきく行動は母のよいところだ。話を聞いてみるとやっていることがとてもおもしろい。それまでまったく気にも留めていなかったのだが、彼らが平和活動家であること、日本との友好を広げていきたいこと、そして彼らもまた第二次世界大戦での遺族であること。のちのちいろんなことがわかってくるのだが、母はしょっちゅう彼らと連絡をとり、自分に通訳をお願いしてきた。とても面倒な作業だなとイライラしていたが、どんな人かなとググってみると現地ではちょっとした有名人のようだった。日本縦断の旅がこちらのニュースにも出ている。

また、この動画ではピースポールイベントオーガナイザーという肩書で出ているが、本人に聞いてみたところ、平和活動家としてこうした活動を行っているということだった。また、オタゴ大学という世界的に平和学の権威と呼ばれる大学の生徒会長もウィキペディアでわかった。若干勘違いしていたのだが、オタゴ大学の元学長といった噂もあり、本人に確認してみたところ違うとのことだった。

ニュージーランド・ダニーデンでの国際平和祭に招待をもらう

そんなこんなで、おもしろいことしてるなあと気になってきたところ2015年10月、ニュージーランドのダニーデンという街で国際平和祭を開催するからおいでと招待してくれた。そのイベントが結構すばらしい内容のイベントで、3000人程のオーディエンスが集まる国際平和祭だった。自分のこともいろいろ調べてくれたみたいで、DJとしてLIVEのオファーをもらったのだが、ヘッドライナーとして扱ってくれたことにとても感謝。これも縁だと思いいくことにした。

ついでにオーストラリア・シドニーでのライブも決定

考えてみれば海外でのライブはタイ以外ではこれがはじめてだったので、この際オーストラリアにもよるので現地のサウンドクラウドで出会ったフォロワーに連絡をとったところ、オーストラリアでもライブをすることになり、オセアニアDJツアーということになった。しかも、ニュージーランドもオーストラリアも、ベースミュージックがとても盛んな地域。自分のジャンルということもあり、一気にテンションがあがった。しかし、母も同行というパターンだったのだが、結局のところよいパートナーとしていろいろと助かった。

そんなこんなで、2015年10月、東京を経由してのオセアニアツアーが始まったのであった。

東京からメルボルンを経由してクライストチャーチへ

一日がかりでニュージーランドの南島へ到着

東京からニュージーランドへの旅は本当に長かった。オーストラリア・メルボルンを経由してのニュージーランド南島のクライストチャーチ空港へ到着。現地は冬が終わるところだったのだが、その最初にみた風景があまりにも美しく、まさにニュージーランド自然大国をいきなり感じる。写真はクライストチャーチ空港から降りた直後の朝方の風景、日本の真冬といった感じだが、透き通った空気とピンク色に輝く空があまりにも素敵だった。

img_0221

ポールさんが空港まで迎えにきてくれたことに感謝。そして、事前に知らされていた日本人のアントニオさん大阪出身の移住者が出迎えてくれた。車で迎えに来てくれて一晩、その方のうちにお邪魔することになった。このアントニオさん、かなりの豪邸に住んでいて、話を聞いたところ相当のやり手の方だったことが判明。いろいろと話が弾む中、家の中を案内してくれた。

アントニオ邸到着、ジブリの映画に出てくるような空間が広がる

img_0223

家に泊めてくれたアントニオさんはもう長くここクライストチャーチに住む方で、おしゃれでダンディーな方だった。ピアノを演奏してくれたり、料理をつくってくれたり、とても暖かく迎えてくれた。まだ練習中ということもありはずかしがりながら引いてくれたピアノは暖炉の火と空間がマッチして最高によい雰囲気だった。

屋敷の高台から見えるクライストチャーチの街

img_0224

あまり見えないがちゃんと外に出たら見えた。動画もとったのであとでUPROADします。

休憩も束の間、ライブの音源調整。

現地のイベント音響役の方とのやりとりでこんなプラグをさせたら音出るよーと、画像を送信。このときのシステムはいつも持ち歩くDELLのPRESITION T6400に、Reasonを動かしてライブするためのAKAIのMPKmini、そしてAbleton LIVEをいじるためのミニミキサー、オーディオインターフェイスは長く愛用しているKonnekt24Dを持って行った。コントローラー類はコンパクトにできたのだが、オーディオインターフェイスはがっつりいつも使う重いやつを持って行ったのだが、かなりしんどかった。しかし、その経験からもっと軽いやつを買おうと思い、MOTUのミニオーディオインターフェイスを買うのだが、全然音がKonnektのほうがいい。やはり、また小さいKonnekt出たらこれに変えるかも。MOTUのオーディオインターフェイス売ります。というか、こんなことわかる人少ないのでやめます。ということで、サウンドシステムや音の加工修正を最後までやった。イベント前のDJとかクリエイターって華やかにいろんな国まわって遊びまわってると思われがちだけど、本気の人たちは自分の出演時間のぎりぎりまで、音調整をすると思う。なので、意外と最後までこもって作業という感じ。

img_0227

こんなセットだが、結局最近はいつもつくってる環境をそのまま持ち出す感じになってきた。こっちのほうが音が確実に同じで再現できるってメリットもある。このシステムはバッグ1つでどこへでも運べる。母やポールさん、アントニオさんが団らん中自分はここでもこもっているのである。

クライストチャーチの街を見学

作業が一通り終わったところで夕食の食材を買ったり、現地の観光ガイドをアントニオさんがしてくれた。そして、ポールさんが所属する平和活動団体のメンバーの人たちが、自分たちを温かく迎えてくれた。ピースベル協会っていう平和活動団体なのだが、これ実は日本発祥で世界各国に平和の鐘を寄贈するという活動をやっていて、ここニュージーランドでもその鐘があった。鐘に刻まれている文字は日本語表記だ。

img_0232

第二次世界大戦中、日本とニュージーランドは敵国同士で殺し合った歴史がある。ポールさんもその遺族となり、日本兵・日本を恨む気持ちもあったという。その後、現地の平和公園、兵士の墓地も案内してもらったのだが、鹿児島の地元の串良平和公園とのつながりを深く感じた。自分の実家の近くにも過去多くの特攻隊の若者が命を落とし、神風と呼ばれ、ハワイのパールハーバーに突っ込んでいった。その遺族も毎年10月中旬に訪れる。戦争の悲惨さをここニュージーランドでも深く感じた。

img_0243

こうして敵国同士が過去の反省の元、戦争の悲惨さをお互いに訴え続け、一緒に世界平和への道を歩もうと努力することこそが大切なんだと思う。1国の利益だけに縛られず、世界市民として連帯していくことが今後の日本人に求められる大切な素養なのではないだろうか。核というこの世で一番悲惨な思いをした日本人はそのリーダーシップをとる力もあり、欧米がやってしまった原爆という究極の悪業を、これから日本人がどうとらえ世界平和に役立てていくことができるか、こういったことをガチで今年の10月中旬に開催する一日だけの国際教育学校をつくろう企画でディスカッションできたらいいなとも思っている。そして、15日に串良平和公園で日本側の遺族が今回も集まる。ニュージーランド側の遺族であるポールさんはこのことをどう受け止めるのだろうか。いまだにこの運命的なタイミングをどうすべきか考えている。彼らとの相互の対談は大変重要な気がしてならない。

オープンカフェで団らん・休息12072670_631613356980792_6719428274393714164_n

気を取り直して、ピースベル協会やサイクリスト仲間の方々と一緒にオープンカフェで団らん。ここで出会った1人が鹿児島のホテルに今年6月にいらっしゃった。奥さんは日本人ということで日本とニュージーランドを行ったり来たりしているという。正直シニアのかたばかりだったので、自分の居場所がなく、そそくさとタバコを吸いに行った。団らんが終わったところでスーパーマーケットまで食材を購入、アントニオさん宅に戻り夕食をごちそうして頂いた後、母とポールさんとの熱弁がいきなり始まった。直球な母の意見と微妙な英語で不安定な雰囲気が広がったが結局のところ、母のその勇気ある行動が今回のプロジェクトを進めているわけだ。欧米人も日本のおばちゃんにはへきへきしただろう。熱弁が繰り広げられた夜自分ははやめに布団に入り、睡眠をとった。

img_0247

img_0248

img_0250

クライストチャーチの街並み。震災があり多くの建物が倒壊していた。白人のローカル社会といったイメージ。クライストチャーチというだけあって、キリスト教教会がたくさんある街だった。アントニオさんはこの町の不動産投資でご成功されたというお話しを聞かせてもらったが、震災後に不動産価格は揺れ、今は軒並み立ち直りつつあるという。いざ、ダニーデンへ。

クライストチャーチからダニーデンへ6時間の車の旅

遠回り?いろんなくねくねした道を通り、マオリ族の住居発見

img_0251

ニュージーランドにはイギリスがくる前には、マオリ族という原住民がニュージーランドの主だったそう。イギリスの植民地政策がはじまると同時に、マオリ族も文明化することになり、こうした伝統文化や自然は残っているものの、無くなった文化や消えた動物たちもかなり多いということだった。イギリス帝国の時代、そうした野蛮な植民地政策が平然と追行されていたわけだ。個人的に過去のイギリス帝国が好きになれない理由はその悪質な行動はもとより残虐性や非道さなのだが、そうした時代が先の大戦で禁止され、多くの領土をイギリスは失い、このニュージーランドもまたイギリスから独立して歩み始めた。マオリの伝統文化であるダンスを欧米人が真剣に踊る様子は何か不思議な感覚だった。

img_0253

途中こうした放牧地が広がり、まさにニュージーランドを感じたのだが、車の中で今ニュージーランドが抱えている問題も、ポールさんが話してくれた。ニュージーランドは放牧をするために多くの森林を切り倒してしまいこんな風景だけになってしまったと逆に嘆いていらっしゃった。これは自然ではなく人間がつくった風景だそう。

風邪が強すぎて髪がぐちゃぐちゃになった。だいぶ長いドライブの6時間だったが、このときポールさんと語ったニュージーランドの歴史や実状、今後どのような方向に進むべきかなど、暑く語った。これについては、10月の地域の国際教育学校をつくろう企画で深く議論できたらいいなと思う。

ダニーデンに到着、かなり疲れて夕食後すぐ就寝

次の朝にガイドしてもらった先は、オタゴ大学の学生寮だった。いろんな学生とのふれあいがあり、なごやかな街だなと率直に感じた。そして海、アザラシがでる海を案内してもらい、その後次の日開催予定の市民スタジアム的なところに機材をもって調整。その日は明日に備えていろいろと準備を行ったが、ポールさんも長旅の疲れか、母との熱弁もかなりヒートアップし、若干気まずくなるときもあった。人をおもてなしするっていうことは本当に大変なことだ。気分よく気を使うつもりがいつの間にか自分がつかれてしまい、相手の気分を害してしまうこともある。ただ、母の精神力は強かったこともあり、若干自分も母に対しての失礼な態度に不快な気分になったこともあったので、自分も若干強めに意見を言うようにした。この辺のやり取りは欧米人とよくあるトラブルで日本人が気を付けないといけないこともあるので、そういった国際的な感覚の違いなんかも学べる学校ができたらいいなと思う。

国際平和祭開催、多民族国家ならではの人種のるつぼ

12079647_895486297167349_4669114741757342796_n-1

ついにはじまった平和祭では多くの多民族な若者と触れ合う機会をもてた。その中には最近、イスラエルが戦争していたガザから非難した難民の若者、戦争地域から逃げてきたアラビア系の若者、東欧のロシアでの最近のトラブルで移民してきた人など、戦争地域から平和を求めて集まった人たちが集まっていた。なるほど、他民族国家そして平和への思いが強い国の意味がわかった。

多民族・多宗教・多文化・多様性を認める社会

そうしたことを肌で感じることができたこのダニーデンでは、日本の有名な仏教団体SGI創価学会も出展していた。イスラム・キリスト・ヒンズー他多くの宗教や民族、そして文化や多様性が平和に共存している社会がこのオタゴ大学のあるダニーデンなのだ。動画がアップされていないので、次回は動画中心に説明していきます。

おやすみなさい。

広告